請願第2号 国に対して「「特定秘密の保護に関する法律」を改めて慎重に審議することを求める意見書」を提出することを求める請願書 に対する賛成討論
2014年3月27日
日本共産党議員団 上原秀樹
日本共産党議員団を代表して、請願第2号 国に対して「『特定秘密の保護に関する法律』を改めて慎重に審議することを求める意見書」を提出することを求める請願書 に対して賛成の立場から討論を行います。
この法律は、政府が勝手に特定秘密を指定し、その漏洩に厳罰を科すもので、国民の知る権利を侵害し、言論・表現の自由など国民の基本的人権を破壊し、国家安全保障会議設立と一体で戦争への道を推し進める稀代の悪法です。何よりも、国民主権、基本的人権、平和主義という憲法の基本原則を踏みにじる点で、明らかに憲法違反です。
この法律に反対する声は、わずか1ヶ月の審議期間でしたが大きく盛り上がり、今も広がっています。呼びかけ人に山田洋次監督ら5人が名を連ねた「反対する映画人の会」には、映画監督の宮崎駿さんや女優の大竹しのぶさん、脚本家の山田太一さんらが名を連ねています。また、ノーベル賞を受賞した白川英樹さん、益川敏英さんなど著名な学者が呼びかけた「反対する学者の会」は、賛同者が約4000人となり、さらに広がっています。
安全保障上、秘密保護法は必要という声があります。しかし、国家・国民の安全を守るためにはスパイ防止法のようなものがあっていいと主張する小林節慶応大学教授は、「第三チェックをかたくなに拒むところに言い知れぬ不安を感じる。法のつくり方を見ても秘密の対象を列挙した後、その他がついてくるのは対象を恣意的に広げられる」と批判しています。
情報の漏洩の脅威が高まっているともいわれますが、それには、憲法違反の法律をつくることで対応することではありません。情報漏えいの脅威は、「高度情報通信ネットワーク社会の発展」に起因するもので、これに対処するためには、公的情報の管理の合理化と、情報保全システムの適正化で対応すべきであって、処罰で対応する問題ではありません。伊丹市民にも大いに関係があります。特定秘密を取り扱う自衛隊などの公務員や軍事産業関係の民間事業所で働く従業員は、適正審査が行われ、本人だけではなく家族、親戚友人まで及び、プライバシーが侵害されます。
このような法律が成立したことで、国連人権高等弁務官事務所は、日本の特定秘密保護法に関して深刻な懸念を表明しました。たとえば「ジャーナリストや市民社会の代表を含め、それが公益にかなうという信念から機密情報を受け取った場合、差し迫った状況に個人が陥ることがない限り、法的制裁から守られるべき」とするとともに、「当局が秘密保護の必要性を確認できる例外的な場合でも、当局の決定を独立機関が審査することは不可欠」としています。日本の場合、特定秘密の指定・監視・検証の機関はすべて内閣総理大臣のもとに置かれており、自分で秘密をきめて自分でチェックするというというものです。
また、国家の秘密保護には、安全保障と情報へのアクセス権とを調和させた国際的にきめられたガイドライン、すなわち「国家安全保障と情報への権利に関する国際原則」通称ツワネ原則が存在しますが、その作成を率いた財団が「日本の秘密保護法は国際基準を大きく下回る。米国からの圧力は理由にならない」と緊急声明を発表しています。まさに国際的に見ても異常な法律であることがわかります。
そもそも特定秘密保護法を繰り返し求めてきたのは国民ではなく、米国です。2005年には、日米両国の部隊から首脳レベルまであらゆる範囲で軍事戦略や情報を共有することを日本は約束しました。その際、「秘密保護の追加的措置」、つまり米国の情報が日本から漏れないよう、対策強化を要求されています。
そして、安倍首相がオバマ米大統領との会談で、特定秘密保護法案は「日米同盟強化を見据えたもの」と説明したとおり、海外で米国と一体に「軍事行動をする国」へ日本を作り変える構想との一環として出てきたものです。日本の国土を守ることとはまったく関係のない集団的自衛権行使の具体的要件等を定める国家安全保障基本法のもとに、国家安全保障会議設置法と特定秘密保護法が位置づけられていることからも、この法律の目的は明らかです。このような憲法にかかわる重大な法律を、わずかな期間で、しかも審議を打ち切って急いで強行採決したことは、異常という以外にありません。法案が可決された後も、請願書に書かれているとおり、共同通信社の世論調査で「廃止する」「修正する」は74.8%を占めており、このまま施行すべきではありません。
日本共産党はこの特定秘密保護法を廃止することを求めています。しかし、多くの国民が不安に思っている法律を改めて慎重に審議することは、国民に改めてその全容を明らかにすることで、法律の是非も含めた判断を問うことにつながります。よって本請願の願意は妥当と考え、賛成とするものです。