2014.3.7. 上原ひでき議員
4.教育の課題について
1)いじめ防止等のための基本的な方針(案)について
私は昨年6月議会で、国においていじめ問題にかかる法制化の議論が進められている中での問題点を指摘して、教育委員会の見解をお聞きしました。
その後「いじめ防止対策推進法」が成立し、国による「いじめ防止基本方針」が策定されました。問題点は残されているものの、いじめ問題の克服の課題を子どもの権利の視点で捉えなおし、地域、父母、教職員、子どもたちが力を合わせて解決していこうとする方向を見出すこともできます。たとえば、いじめられている子どもに寄り添った対応が強調されるとともに、いじめた子どもに対しても、すべてが厳しい指導を要する場合とは限らないとしていること、いじめの理解では、加害・被害という二者関係だけで捉えるのではなく、学級や部活動の構造、「観衆」「傍観者」の存在も加えて、四者構造の考慮も求めています。これらは今後に生かすべきことだと思います。そこで、いじめ防止等のための基本的な方針(案)について、昨年6月の質問とも関連してお伺いします。
第1に、「Ⅱ基本姿勢」の「1基本的な方向性」で、「いじめはどの子どもにもどの学校でも起こりうるものであるとともに、人権にかかわる問題であり」としながらも、いじめを「しない、させない、許さない」という姿勢を大人が共有するとしています。書かれているとおり、いじめは人権にかかわる問題です。だとしたら、いじめは人権侵害であることを前面に押し出し、憲法や子どもの権利条約の条文やそれらの精神を踏まえ、豊かに安心して生きる権利が子どもたちにはあること、いじめはその権利を侵害すること、そして大人が共有するのは、「しない、させない、許さない」という姿勢よりも、その権利を守るのは大人社会、学校、教師の義務であることを明確にすべきではないかと考えます。見解を伺います。
第2に、教育委員会が実施する施策で、「学校の教育活動全体を通じて道徳教育を推進する」とされていることについてです。私たちは市民道徳の教育を重視しておりますが、それは教員、子供、保護者が自主的、自発的に進めてこそ実を結ぶものであり、上から押しつけるやり方は逆効果になります。大津いじめ自殺事件が起きた中学校は、市内唯一の道徳教育推進指定校でした。
180ページに及ぶ報告書も作成されていて、事件の起きた2年生は、1年生のとき「ルールを守ろう」などの規範教育に取り組んでいました。深刻ないじめはその半年後に起きています。大津市の「第三者調査委員会」の「調査報告」は、「いじめ防止教育(道徳教育)の限界」と題し、「それ自体の意味を否定しないが、道徳教育や命の教育の限界についても認識を持ち、学校の現場で教員が一体となった様々な実践こそが必要」とかかれています。さらに報告書では、「子どものいじめは社会のあり方と根深いところでつながっているが故に、いじめ発生の土壌が存在するとともに、いじめ解決の困難さが理解される」とも書かれています。現代の子どもたちは、学校だけではなく、家庭環境やそれとつながる社会の中で、苛立ちや孤独感にさいなまれており、その生の現実と向きあっていくことがいじめの防止につながるものと思います。
大津市の教訓から、道徳教育をどう考えるのか、見解を伺います。
第3に、「学校が実施すべき施策」の中の「児童、保護者への指導」で、加害者への指導について書かれている点です。ここでは、加害者が抱える問題等に目を向け、健全な人格の発達と教育的な配慮のもとに特別な指導を行うほか、「出席停止や警察との連携による措置も含め、毅然とした対応をする」とされました。
いじめの解決は、いじめている子どもがいじめをやめることが欠かせません。それは、自らのいじめ行為に向き合い、相手の痛みに共感できるようになり、心からの謝罪を通じて、人間として更正することを含んでいます。問題は、いじめをやめることと人間的な更正がどうしたらできるかです。
そこで論点となるのは、出席停止と警察との関係です。出席停止については、書かれているような「毅然とした対応」として行うものなのかどうか、懲戒として行うものかどうかです。いじめにはいじめる子どもに耐えがたいストレス、つらい背景があることは知られています。そこに共感し、その子どもの抱える悩みを解決することに着手してこそ、被害者の痛みに共感することができ、いじめをやめる方向に進むことができます。なお、いじめを行う子どもに対する出席停止措置は、懲戒としてではなく、子どもの安全のための緊急避難としてありうる選択です。しかしその間、子どもの心のケアや学習の保障がないまま停止すれば、その子どもの屈折した心はさらにねじれ、人間的更正の道から排除されることにもなります。
警察との関係ですが、この間伊丹市においても数回にわたって警察への通報が行われています。
もちろん、恐喝や傷害事件などが起きたとき、被害届を出して、家庭裁判所での審判に基づく更正という道を選択する場合もあります。大津の事件の際、警察が捜査を開始し、その過程でのべ30時間以上にも渡って事情を聞かれた子どももいたといわれ、かなりのショックを受けたことが推測されます。警察は犯罪を立件することが目的の捜査機関であり、子どもをケアし更正するための機関ではありません。子どもの安全、更正、成長という目的に沿って、慎重に判断すべきであり、この問題も毅然とした対応で行う懲戒であってはならないと考えます。
以上の件に対する見解を伺います。
2)国における教育委員会のあり方の議論について
自民党は、19日、文部科学部会を開き、安倍政権が進める教育委員会制度「改革」案を了承しました。「改革」案は、憲法にそくして教育の自主性を守るためにつくられた教育委員会制度の根幹を改変し、国・首長という政治権力による教育支配を歯止めなしに拡大しようという、きわめて危険な内容となっています。
一つは、「改革」案は、首長に、教育行政全体についての「大綱的な方針」を定める権限を与えるとともに、これまで教育委員会の権限とされてきた公立学校の設置・廃止、教職員定数等、教育行政の中心的内容を、首長に与えるとしています。これでは教育委員会は、首長の下請け機関となり、首長がその気になればどこまでも政治介入できるということになってしまいます。
二つには、「改革」案は、新に規定する(仮称)新教育長について、首長が直接任命・罷免するとしています。現行法では、教育長は、教育委員会が任命し罷免もできますが、この仕組みを変え、教育長を首長の直属の部下にしようというのです。
安倍政権が当初ねらっていた「教育委員会廃止」論は、教育関係者などからの強い批判もあって採用できませんでした。しかし、自民党「改革」案は、教育委員会から実質的権限を奪い、それを形骸化させるものにほかなりません。それは、1976年の最高裁学力テスト問題の判決に示された、「教育内容に対する権力的介入は抑制的であるべき」とする日本国憲法の要請を踏みにじり、教育への無制限の権力的介入・支配への道を開くものとなっています。
こうした内容が具体化されれば、首長がかわるたびに、その一存で教育現場がふりまわされるという混乱が起こり、子どもたちがその最大の被害者となってしまいます。
この件に関して、中央教育審議会は昨年8月、首長・教育長のアンケート調査結果を報告しています。現在の教育委員会が「首長部局から独立していることが首長にとって制約になっている」かどうかを尋ねたところ、半数を超える首長・教育長が「そうは思わない」とし、「合議制の執行機関としての教育委員会を存続しつつ制度的改善を図る」方向に、首長の57%、教育長の67%が「賛成」としています。従って、教育委員会は、現在伊丹市教育委員会が努力されている通り、子ども、保護者、住民、教職員の声をきちんと受け止め、それを教育行政に反映させる機能を強化していくことこそが求められており、教育委員会制度を変える必要はありません。
市長並びに教育長の見解をお伺いします。